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2008年02月 アーカイブ

2008年02月09日

整合性ある美しさ

「整合性ある美しさは正しい理論の証明である。」

ー理論物理学者/リサ・ランドール(著書/「ワープする宇宙」より)

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2008年02月11日

できるだけ

「できるだけ現場に。」

建築家/安藤忠雄

机上で済ませたデザインには住む人(使用者)や売る人(デザインのクライアント)に対する知見や思いが圧倒的に不足する。
やはり「空気」は最上の情報であると思う。

キャッチコピーは

「コピーは足で書け」

博報堂/新人コピーライターに贈られる言葉

創造の原点は想像であって、想像のために質のいい情報が必要。
質のいい情報は足で稼ぐしか手に入る方法はない。
googleだけでは世界を見ることは出来ない。

オリジナル・ワーキング

数量分析だけでは

「数量分析だけでは生活者の欲求は深堀できない」

元博報堂 制作部長/高橋宣行(著書:オリジナル・ワーキングより)

マスマーケティングだけでは人々の生活を豊かにすることは出来ない。
やっぱり生活をちゃんと「観察すること」が全ての原点なのだろう。

見ることは、創ること、、、なのだろう。

オリジナル・ワーキング

2008年02月12日

Any publicity is good publicity

「Any publicity is good publicity」

美術家/アンディ・ウォーホル


publicityとは、評判であり、広告という意味もある。そこには一種「噂」に近い風評的な意味も感じられる。
デザインやクリエイションにおいて、どんなものでも人の目に触れ、話題になるというのがやはり大事であり、話題になったらある種勝ちであるという部分はあると思う。

どんな悪評を付けられても「話題にすらならない」よりよっぽどいいのだ。

どんな評判も(人が気づいてくれたということは)いい結果と受け取っていいのだと思う。

世の中からフィードバックを受けるのは大切だ。

2008年02月15日

日本には日本のことを

「日本人は自分のことを知らない。日本には日本のことを教えてやらなければならない」

物理学者・お雇い外国人/ウィリアム・エドワード・エアトン

エアトンは王立協会誌に日本の伝統工芸の「魔境」を紹介した人物とされている。
外から見ないと、今の自らの立ち位置や考えを変えないと見えてこないことがたくさんある。

2008年02月19日

日本の家

「日本の家は納戸化しつつある」

プロダクトデザイナー/喜多俊之(著書:ヒット商品を創るデザインの力より)

日本人がモノをたくさんか抱えすぎて、自分の家に人を呼べなくなり、さらにそれが家庭内の風景に対して緊張感や美観の消失を引き起こしているという見方。
氏は著書にてイタリアと日本の台所の差を例に挙げて比較している。

納戸に住んでいる国民とは、なんと悲しいことか。
やはりモノはコトのためにあり、いくらモノのかたちだけがよくなっても、
人の生活文化を美しくする助けができないものならば、
それは「よいデザイン」ではないのだろう。

キーワードは「コト」であることを再認識。


2008年02月25日

常にアマチュア

「革命(イノベイション)は、常にアマチュアが起こします。だから、ぼくは常にアマチュアでいたい。」

コンセプター/坂井直樹

たとえばデザイナー。
インハウス(企業内)のデザイナーはある特定の商品ばかりをデザインしなければいけない宿命があります。それがたとえば、クルマだったり、芳香剤だったり、時計だったり、ポテトチップスのパッケージだったり・・・・
特定の分野には特定の分野のスキルがあるわけですが、スキルや経験は同時にクリエイションの幅を狭めるのだと感じます。

アマチュアの良さをプロが享受するためには、
自分の受け持つシゴトに対して常に「客観的に見る」ということをし続けることなのではないかと思っています。

2008年02月28日

一々立相の習

「一々立相の習、口伝にあり、書き顕はし難し」
(いちいちたちあいのならい、くでんにあり、かきあらはしむずかし)

柳生新陰流兵法/兵法家伝書より

書物で読ませるだけでは、各人言葉の受け取り方もちがうので、伝えたいことの真意は伝わらない。
なので個々人にマンツーマンで手取り足取り指導する必要があるという意。

江戸時代の新陰流ではまず相手がこちらの言葉や動作のニュアンスを体で感じて覚えられるまで、
伝書等は渡さなかったらしい。

書や言語だけのコミュニケーションでは、伝えたいこと、微妙なニュアンスを伝えるのは難しい。
誰かに何かを伝える、プレゼンテーションする場合は伝える行為そのものがすごくパワーを必要とするものであって、相手の受け取り方や状況をシミュレーションする必要がある。

この言葉は今のように言語がフラット(誰でも使える、差が少ない)になった時代でも、コミュニケーションの難しさ・手法をしっかり考えることの大事さを教えてくれる。

2008年02月29日

目指すところは結局ただ一つ

分けのぼる
麓の道は
多くとも
同じ高嶺の
月を見るかな

時代に応じて文体や形式は違ってくるけれども、
目指すところは結局ただ一つの高嶺の月なのである。

文筆家/谷崎潤一郎(著書:陰影礼賛より)

ある特定の市場で似通った製品がたくさん出てくるのは、やはりそこの市場で人々が求められているものに一つの流れがあるからだと言われる。
それと同時に、皆が同じゴール(提供したい価値、月)に向かって、同じような手法(デザイン、サービス、ビジネスモデル、麓の道)をたどっていることをも示している。

たとえ目指す頂上が同じ場所でもかまわない。
同じ頂上に着けるのであれば多様な「道」を探すことは意味があると思うし、それが他者との差別化や価値につながる。
これは人の生き方、「人生のデザイン」について考えさせてくれるいい言葉だと思った。


麓からどんな道を選んで、月に向かうか。


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